絵に描いた餅

書かなきゃ忘れるオタクの備忘録

ミュージカル 「INTERVIEW(인터뷰)」 感想

ミュージカル「インタビュー」を観てきました。
公演日、キャストは下記の通りです。f:id:e_nikaitamochi:20170825004222j:image

【2017.07.26マチネ】

ユジン・キム :カン・ピルソク

シンクレア・ゴードン:キム・ギョンス

ジョアン・シニアー:イム・ソユン

 

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【2017.08.09ソワレ】

ユジン・キム:カン・ピルソク
シンクレア・ゴードン:キム・ギョンス

ジョアン・シニアー:キム・ジュヨン

 

※こちら、キャストスケジュールがかろうじて読める程度の語学力レベルの人間が書いた感想です。
記憶力、語彙力にもいまいち自信がないので間違い等あればご指摘ください。
以下ネタバレありの感想(というか覚え書きに近い)になります〜〜。

 

 

初めての韓国オリジナル創作ミュージカル観劇となりました。ざっとあらすじを調べてみればものすごく重そうな内容、更には多重人格という設定に、観る前から心が折れかけていたのですが、1回目の観劇後、あれよあれよという間にチケットが増えて今回の滞在中1番多く観た作品となりました。
観劇前に散々「話についていけないかもしれない‥‥‥」と周りに愚痴っていたのはなんだったのか。最終的に「全キャスト観た〜〜い!全組み合わせ観た〜〜い!」となる大変奥の深い(沼の深いともいう)作品でした。

しかしユジン・キム、シンクレア、ジョアン役の3人の役者によって演じられるこの作品、罪深いことに5人のユジン・キムと5人のシンクレア、そして4人のジョアンがキャスティングされているのです。無理じゃん!!!と叫んだのは私だけではないはず。一体何通りの組み合わせがあるのか。すべての組み合わせを観ようとすると、私のようなライトオタク(というかただのにわかミーハー人間)にはかなりハードルの高い仕様となっておりました。そもそも出演期間が全く被っていないキャストもいる。

ということで清く諦め、2ユジン先生,2シンクレア,3ジョアンを観劇して参りました。

 

6月1日開幕のこの作品ですが、私が訪れたのは7月末。初めての劇場にドキドキしながらロビーに入れば、そこにはほぼスタンプで埋まっているスタンプカードを握りしめたお姉さま方で溢れており、開場前からすでに「ヤバいところに来てしまったのでは?!」と1人冷や汗をかくことに。

座席に座ってからも、周りは知り合いに偶然遭遇したと思しき人々の挨拶を交わす声(みんな知り合い遭遇率高すぎ問題)や、いそいそと鞄からハンカチとオペラグラスを取り出しばっちり膝の上にスタンバイするお姉様の率の高さなど、やっぱりマニア度(?)は高めで「ヤバいところに(以下略)」と身を縮めつつ開演を待つことになりました。今回の遠征で訪れた劇場のなかで、一番マニア度の高かった劇場は間違いなくここ、TOM1館だと思います。

 ベストセラー作家、ユジン・キム先生のもとに作家志望の青年シンクレアが「インタビュー(面接)」に訪れるところから始まるこの作品、いたるところに張り巡らされた伏線と、次々に変わっていくユジン先生とシンクレアの関係、そして最後の伏線回収まで観客側も一切気の抜けない怒涛の110分(+無数にあるキャスト組み合わせ)という、そりゃ客席のマニア度も高くなるわと納得のミュージカルでした。当然の如く内容の半分も理解できている気がしないのであらすじは省略させていただきます。どうやらこの作品、日本語台本なる物があるそうで(最近知った)、いつか入手できる日がくればなぁと夢見ていますがはたしてそんな日はくるのか。(そして多分その日がくるまで永遠に内容を理解できない)しかし調べてみると今年の3月に日本での公演があり台本も販売されていたそうですね。めっちゃ最近じゃん!!!!せめて!あと少しでも早く韓国ミュージカルに興味を持っていれば!!!と日本語台本という夢のような物への渇望と後悔に押しつぶされておりましたが、よくよく詳細日程を見てみると「アッ、この日程まんま私が10thスリルミー渡韓してた時だ\(^o^)/」となりなんだか諦めがつきました(笑)

ということで、上記の通り本当に韓ミュど素人、内容の半分も理解できているかどうかさえ危うい人間の観劇感想になります。その点ご理解いただいたうえで、大丈夫な方は生暖かい目で読んでいただければと思います。

 

 

 今回は、カン・ピルソクさんのユジン・キム、キム・ギョンスさんのシンクレアという組み合わせで2回観ることが叶ったのでその感想を書いていきたいと思います。ジョアンはそれぞれイム・ソユンさんとキム・ジュヨンさんです。観劇直後に書いた覚え書きをおぼろげな記憶で塗り固めた結果、無駄に長くなってしまっているのですが、以下主に人格別でまとめた感想になります。

 

初見時は「始まりからなんだか暗いぞ~~」となった「자장가」「유서」プレスコールの動画やお写真でしか拝見したことのなかったカン・ピルソクさんですが、私はこのシーンのユジン先生を観て、初めてピルソクさんのプロフィールに書かれていた「78年生まれ」の文字を信じました。(それまで信じていなかった)

重く吐き出される息や、何かに耐えるようにゆっくりと電話を持ち上げる動作、低く掠れた声、舞台上に漂う鉛のような空気の中に居るのはどう見ても疲れ果てた中年の男性で、*1スリル・ミー時のお写真で見かけた「今すぐギムナジウムに突っ込みたい、儚げ美少年」の面影はどこにもありませんでした。本当に同一人物なのか‥‥‥?!

2回目観劇時からは、一気に印象が変わるこのシーン。ピルソクさんの儚げで繊細な美貌から漂う哀愁が、結末を知ったうえでみると破壊力大。1回目の観劇で、隣のお姉さまが早々にハンカチを握りしめていてびっくりしたのですが、それも納得です。

 

 

[シンクレア(マット)]

ピルソクユジン先生

  • 「正しく精神科医」といった風。基本穏やか。
  • ベストセラー作家のユジン先生として観ると「そんなにシンクレアのこと気になる??」という感じだが、2回目以降精神科医としてユジン先生を観ると「なるほど」となるシンクレアの観察ぶり。

ギョンスシンクレア

  • どこにでもいそうな普通の好青年という風。時折控えめにはにかむ姿など、この後の展開と彼の背負う過去など想像もつかないシンクレア。
  • ジョアンに向ける視線は切なくもどこか色っぽく、たぶんギョンスマットにとってのジョアンは、いつまでも胸の内にある狂おしい程の愛。

ピルソクユジン先生とギョンスシンクレアの組み合わせは、ちょいちょいストーリーよりも先に心が「かわいい〜〜」と叫んでしまう瞬間があるという、総じてヘビーなインタビューの中で奇跡のような組み合わせでした。

ギョンスシンクレア、ユジン先生にサインをお願いするシーンでは、サインする先生の手元を嬉しそうに覗き込んでいたんですが、夢中になりすぎたのかぴったり先生にくっついて覗き込む。「‥‥‥‥近くない???(笑)」と思って見ていたら案の定ユジン先生に苦笑いで見上げられていましたwwwそれでも反省する風でもなく、サインする先生のすぐ隣で嬉しさを隠し切れないという風に、によによとはにかんでいるギョンスシンクレア。このふわふわっぷりは観てる側もふわふわとした気持ちになりました。(一瞬だけど!)

そしてジョアン最初の登場シーン「조안 이야기」では、さっきまでのふわふわっぷりは何処へやら、ジョアンが現れた途端一瞬にして溢れる切なさに瞳を揺るがせるギョンスマット。その鮮やかな変化に「あーーーー、凄い!!!!ギョンスシンクレアのチケット増やそ!!!!」とさっそく決心するほど心奪われました。まだジミーすら出てきていない時点で決心しました。(早い)

 우리 꿈꾸던 애너벨 리 꿈처럼

の部分で、椅子の上に立ったジョアンを抱き下ろす一連の動作、ふわりと持ち上がるジョアンもそうですが、ギョンスさんのスタイルの良さも相まってとても美しい一瞬。あまりの美しさに口をあんぐりあけて間抜け面を晒してしまったほどです(どうでもいい情報)。この映像が欲しい。というか、この場面が好き過ぎるのでこのナンバーだけでいいから全マットと全ジョアンの組み合わせで映像が欲しい(強欲)

9日の公演では震える手でジョアンを抱きしめていて、切なさも増し増しになっており終演後、このシーンを思い出しては友人と2人「あ"------」と言いながら夜の大学路を歩きました。(友人も私もこのナンバーが大好き)
全体的にギョンスマットのジョアンとのシーンは幻想の中に生きているような印象で、儚い美しさに目が離せませんでした。

ジョアン殺害の記憶から切り離されたマットにとって、ジョアンとの思い出が(手に入れることこそできなかったものの)ただただ美しいものへと昇華されているのであれば、それは他の人格たちの本望だったのだろうかと考えると胸がしめつけられます。

 

[ジミー]

 

ピルソクユジン先生

  • 26日→ジミーの要求を甲斐甲斐しく叶えてあげる見事な下僕っぷりを披露。
  •  9日→26日ほどの低姿勢ぶりと甲斐甲斐しさはなく、どちらかといえばジミーと対等に渡り合おうという感じ。

 ギョンスジミー

  • 粗暴でガラの悪いという言葉がぴったりなジミー。ユジン先生の机の上に足を乗っけちゃうわ、くわえ煙草で会話しながら灰を撒き散らすわ、やりたい放題。

ジミーのあまりの傍若無人ぷりに最初、困ったような呆れたような微笑を浮かべて眼鏡の蔓を押し上げるピルソクユジン先生。(ピルソクユジン先生のこの表情が最高)こんな、夜の繁華街で遭遇したら絶対に目を合わせたくない感じの(どんな例えだ)ギョンスジミーですが、それなりに仲良く会話できてるピルソクユジン先生すごい‥‥。序盤、シンクレアに自分のコーヒーを淹れさせていましたが、ジミーにコーヒーを要求された時はコーヒーメーカーへとすっ飛んで行き、いそいそとジミーのコーヒーを用意するそれは見事な下僕っぷりを披露してくれました。コーヒーを前にしたジミーに、ぱたぱたと手を振って香りを嗅がせてあげる甲斐甲斐しさ。ピルソクユジン先生は人格によって接し方もそれぞれ違っているところが印象的でした。1回目観劇直後に書いたメモに『ギョンスジミーはガラが悪いながらも、ユジン先生とわりとうまくやってる。』とあったのですが違う!ギョンスジミーがうまくやってるんじゃなくて、ユジン先生がうまくジミーに合わせているんですよね。ジミーが机の上の書類を思いっきりまき散らすシーン、9日公演ではユジン先生の頭上ピンポイントでまき散らしてましたが、頭上から降り注ぐ書類の中で怒ることもせず微笑を浮かべてフリーズしていたユジン先生はもはや聖母のように見えました(笑)ウッディに対するピルソクユジン先生を観ても思ったのですが、ピルソクさんのユジン先生はそれぞれの人格に合った接し方をしていて、尚且つうまく相手に取り入って話を聞いているので本当に「正しく精神科医」だなあと。(壊滅的にちっちゃい子の扱いが出来ていなかったヨンギユジン先生の感想はまた別に書きたい。)そしてどうでもいい話なんですが、ギョンスジミー、コーヒーの準備をするユジン先生のお尻を通りすがりに叩くというなんとも恐れ多いことを実行するのですが、これピルソクユジン先生相手だと何となく犯罪臭といいますか、イケナイ気持ちにさせられてしまうのは私だけでしょうか。

 

[ウッディ&アン]

ピルソクユジン先生

  • ジミーの扱いもとっても上手だったけど、ちっちゃい子の扱いもとっても上手!
  • 怯えるウッディに対しても、並んで膝を抱えて少しずつ距離を縮める
  • ウッディお絵かきタイムも、割と仲良し。漂うほのぼの感

ギョンスウッディ

  • ジェボムウッディ比でユジン先生に心を許している
  • ユジン先生にぎこちなくも笑みを見せる
  • ユジン先生は「自分に害を与えない大人」であり、それ以上でもそれ以下でもない?

ギョンスアン

  • ちょっとおませな女の子
  • ユジン先生に気がついて髪を耳にかける仕草や、両手を腰に当てて胸を張ったりする

個人的ユジン先生の見どころポイントだと思っているのが、この幼い姉弟に接するシーンです。率直に言って素敵なイケオジたちがちっちゃい子に振り回される姿は最高に萌える。

9日の公演では友人と揃っての観劇だったのですが、終わったあと2人で「ウッディってこんなにユジン先生に心開くものなの?!」と軽く議論になるほどにピルソクユジン先生のウッディへの接し方は巧みでした。(友人はゴンミョンユジン先生を履修済み)私が対ウッディのピルソクユジン先生で好きだったのが、怯えるウッディへの最初のレスポンスが、「遠くから手を振る」だったことです。あいさつは大事。ちいさく手を振り返すウッディに目線を合わせ、少しずつ距離を縮めていく姿に私の中のピルソクユジン先生の株は爆上がりでした。最終的にウッディお絵かきタイムでは、一緒に絵をのぞき込んで質問ができるほど距離を縮めるピルソクユジン先生流石!ちなみに私の比較対象はヨンギさんのユジン先生(壊滅的にちっちゃい子の扱いが以下略)しかいないので相対的にピルソクユジン先生の対ウッディが見事に見えているだけかもしれない疑惑が最近になって浮上しています。おそらく、このシーンのウッディの心の開き具合は、ユジン先生とウッディのキャスト組み合わせ次第で全然違ったんだろうなと。

最初、ユジン先生に心を許しているなあと思ったギョンスウッディでしたが、後日観たジェボムウッディと比較してギョンスウッディはそこまでユジン先生に興味がないのかもと考えるようになりました。ギョンスウッディにとってユジン先生は「自分に害を与えない大人」でありそれ以上でもそれ以下でもない。それでも、虐待を受けていたウッディがこんな短時間で大人に対し怯えをみせなくなったのは、間違いなくピルソクユジン先生の手腕だなと。

ギョンスウッディ、ユジン先生に耳打ちしようとするも、遠くを見て怯える演技が本当に幼い子供にしか見えなくてとても好きでした。さっきまでのガラの悪いジミーと同一人物が演じてるとは思えない‥‥‥‥すごい(足りない語彙力)‥‥‥‥となりました。(そして増えるチケット)

 

9日の公演では、ウッディと並んで膝を抱えて少しづつ距離を縮めていくシーンで「おじさんに〜?」(ほとんど台詞が聞き取れてない)と言ったあと何故か眼鏡を額にあげるというウッディも客席も想定外の行動に出たピルソクユジン先生。突然の行動にキョトンとするしかないウッディと客席。しばらく額に眼鏡スタイルのままウッディを宥めていたユジン先生ですが、「アン?」と訊いたタイミングで元の位置にポトっと眼鏡が着地していました。にこにこと何事もなかったかのように話を続けるユジン先生でしたが、この瞬間客席に起こった微妙な騒めき(決して"笑い"という感じではなかった)は間違いなくピルソクユジン先生のあまりの可愛さに頭を抱えた乙女たちの声にならない呻きだったと思います。(少なからず私はそう)あれは反則級の可愛さでした‥‥‥‥‥。いや、ウッディには大受けしてたのでいいんですけどね‥‥‥‥。

 

 

[ノーネーム]

ピルソクユジン先生

  • 総じて精神科医として各人格たちと接していたが、後半のノーネームに対しては哀しみを湛えた被害者の父親
  • 事件に関しては怒りよりも哀しみのほうが大きい

ギョンスノーネーム

  • 全て他人事のようにみてる
  • 決して威圧的でないが、飄々としてつかみどころのないタイプ
  • 時々冷たい挑発的な微笑を浮かべる

最後のノーネームとユジン先生のやりとりのシーンで、ユジン先生に関する重要な設定の伏線がはられるわけですが、これ日によって違うんですね‥‥‥。

ノーネームに対し、初めて内に秘めていた哀しみと激情を露わにし被害者女性の名前を読み上げてはその資料を散らすシーン、私が観た2公演ともピルソクユジン先生は最後の2枚の名前を読み上げる前に力なく項垂れていました。そしてその手にある資料をノーネームが奪いとり他人事のようにその名前を読み上げるのですが、26日は「レイチェル・キム」とフルネームで読み、9日は「レイチェル」とだけ読んでいました。いやいやいや、ここ大切な伏線だよね??日によって違っていいの??と1人困惑していたのですがギョンスさんでの観劇はこの2公演のみだったのでどちらがイレギュラーかは確認できず。これ、別日の公演やキャストでは違ったのでしょうか?ユジン先生がフルネームで名前を読む公演もあったので、これはキャスト&日によって違っているのかな?とも考えたのですが、でもこれ本当に大事な伏線じゃん‥‥‥‥‥といまだ困惑しております(笑)

因みに個人的な好みだと、ユジン先生がレイチェルの名前を読み上げるのが1番好きです。絞り出すように読み上げられる名前とそれを他人事のように聞いているノーネームという構図がより2人の関係性を際立たせているように感じ鬱度が増して堪らないです。

とまあいろいろ考えてしまいましたが、少なからず初回の観劇がレイチェルフルネーム呼びverで良かったです。そうじゃなきゃ、多分私のお粗末な語学力じゃこの設定に気がつかなかった。(そこかよ)しかし、「オフィーリア殺人事件の被害者の1人がユジン・キム先生の娘」というこのトンデモ設定、本当にトンデモ設定すぎてユジン先生の迫真の演技がないと言葉がわからない人には絶対理解できないよね、というか想像つかないよね、と妄想力をフル稼働させつつ必死で観劇してる身としては思ってしまいます。

お粗末な語学力といえば、9日公演の「レイチェル」の後にノーネームが何か言っていたのですが、私の語学力がお粗末なのは大前提としても早口だったので全く聞き取れず‥‥‥‥。やっぱり、言葉がわからなくとも楽しめるけれど、きちんと理解できないと本当に作品を楽しむことは難しいなあと落ち込んでおります。あと単純にフラストレーションが溜まる。

 

3回のチャイムの音と共に暗転後、「面白かったけどユジン先生の見せ場ほとんどないやんけ」と息をついていたのですがまさかここから怒涛のユジン先生タイムが始まるとは。再び照明が付いたときにはきっちりとスーツを着こなしたユジン先生が1人舞台の中央に。最初突然の展開に「???」となっていましたがガベルの音に裁判所だとなんとか理解。ここの裁判官に受け答えする仕草、表情すべてでユジン先生の哀しみを表現されており、いままでマット(とその他の人格たち)の物語だと思って観ていたインタビューがユジン先生の物語でもあったのだと気づかされました。

ユジン先生、裁判官との受け答えで、涙は流していないながらも赤く染まった目元と、話していくにつれ涙を流すのを耐えるような表情は心が泣いているんだろうなという感じ。この時点ではまだレイチェルがユジン先生の娘だということが明かされていないので、ユジン先生の哀しみは感じつつも「うわぁ‥‥‥」という感じで観ていたのですが‥‥‥‥‥。裁判を終えゆっくりと立ち去ろうとするユジン先生を呼び止め質問する声に(さっきまでの裁判官の声と違ってオフマイク風だったので裁判所の廊下や控え室?だったりしたのかなと妄想)初めてレイチェルがユジン先生の娘だと知った時には、それまでのウッディとアンに対する優しさだとか、虐待を受けるジョアンの姿から堪え難そうに目を逸らす姿だとかを思い出し、隣のお姉様のように膝にハンカチをスタンバイしておかなかったことを激しく後悔しました。辛すぎる。この台詞、初見では娘が云々しか聞き取れず後日詳しく書いてくださっている方の感想を拝見したのですが、「とんでもないこと聞いてるな!!」となりました。間違いなくユジン先生が立ち去った後その場に気まずい空気が流れるやつ。

そんなとんでもない問いにゆっくりと振り返るユジン先生の瞳は哀しみに揺れていて、少しの間遠くを見つめた後ゆっくりと目を伏せ口元だけ淡く微笑む姿はレイチェルが殺された過去とマットの歩んできた過去、もうどうすることもできない2つの過去に板挟みになったユジン先生の哀しみと虚しさの入り混じったもののように見えました。

ピルソクユジン先生は、書斎に戻った後ゆっくりと机を片付けていくのですが、この時ジミーの使ったコーヒーカップを見て一瞬手を止める動作など細いところまでユジン先生の心情が表現されていて、客側はもうただ泣くしかない。そして片付けるという動作をしているのに解いたネクタイと上着は乱雑に床に落とすなど、マットとのインタビュー時の穏やかな先生からは想像もつかない姿に、はじめて先生の憔悴を知り、ただひたすらに辛かったです。(そして泣いた)

静まり返った劇場を満たすユジン先生の哀しみを目に見た後に、再び繰り返されようとするインタビュー。それは、最初に観た場面と同じなのに、ここまでも受ける印象が違うのかと衝撃を受けることになりました。そりゃ、2回目以降だと泣くわ。

後日インタビュー初見直後の友人と劇場近くのカフェで合流しお茶する機会があったのですが、「最初の場面に戻る演出本当ニクくて好き」という話題になり、死の賛美観劇直後だった私も「ほんとそれな〜〜」と盛り上がりました。観た人間を最後の最後で更に鬱に突き落とすこのスタイル、かなり好きだったんですけど他にも同じスタイルの作品ってあるんですかね?韓国ミュージカルど素人すぎてわからない。

 

[ジョアン]

すっかりタイミングを逃していたのですが、ここでジョアンのキャスト別感想を。

ソユンジョアンは他のジョアンたちに比べて普通の女の子という印象。マットがジョアンに籠絡されたというよりも、2人が身を置く環境が気がついたらそうさせていたという感じに見えました。一方ジュヨンジョアンは無邪気な狂気が見え隠れするジョアンの印象。笑顔は可愛いのにスッと真顔になるところとか人形の扱いが激しいところとか、可愛らしい外見とのギャップがより怖さを増していたと思います。そしてギョンアジョアンですが、このジョアンは完全に計画的にマットを籠絡していたように感じました。ギョンアジョアンを観て、初めてジョアンはジェイク・マルフォイとは遊びで付き合っていて、シンクレア・ゴードンとは2人でロンドンに行こうとしていて、更にはマットとも愛がなんたらと言い合っていたしたたかな子だということを思い出しました。アナベル・リーでのマットの手を自分の腰に回させる仕草が物凄く色っぽかったです。

どうしてもユジン先生とシンクレアのキャスト優先で観劇日を決めてしまっていたので、キム・ダヘさんのジョアンは観られず‥‥‥。ダヘさんとっても観たかったので残念です。今回の遠征で、ロッキーホラーショーと合わせても何回かチャンスがあったのに1回も観られなかったのは縁がなかったんですかね‥‥‥‥。それか私の徳が足りなかったのか。うーーん。

 

思い出しながら感想をまとめてみて、少しはこの作品が理解できるかなあと思っていたのですが、1つ引っかかる部分が出てきたので考えてみました。以下個人の見解というよりも、言葉がわからず内容が理解できてないのをいいことにかなり妄想が入っています。そしてまとまりのない文章なので読み飛ばして頂いて大丈夫です。

上にユジン先生にサインをねだるギョンスシンクレアが、本当に嬉しそうにふわふわによによしていたのが可愛かったと書きましたが、冷静に考えるとこれってもしかしてマットの演技だったのかということです。(気がつくのが遅い)ユジン先生がシンクレアだと疑ったマットが、ユジン先生の反応を見る為に"シンクレア・ゴードン"の名前を使って面接に来た設定だったと思うのですが(そうですよね?!)、そうだとすると嬉しそうにユジン先生にサインを貰っていた姿は全て演技ということになります。でも、あそこまで嬉しそうな演技をしてサインを貰う理由ってマットにあるのか?と考えるとそうでもないような‥‥‥。ジェボムシンクレアは「シンクレア‥‥ゴードン‥‥‥‥」と名前を入れてサインするユジン先生に対し、念押しのように「シンクレア・ゴードン」と復唱しユジン先生の反応を伺っていたので「ああ、"シンクレア・ゴードン"という名前に対するユジン先生の反応を見たかったのね」と観てる側も納得できたのですが、ギョンスシンクレアはそんな風でもありませんでした。ただ本当に嬉しそうに先生の隣でサインする手元を覗き込んでいました。これが全て計画的な演技だったとしたらギョンスマットはかなり怖い、といいますか闇が深い人物ということになります。全編通しての私のギョンスマットに対する印象は「ただただジョアンとの愛の幻想を追い続けた結果、殺人をも犯してしまった哀しい青年」なのでそれはしっくりこないなあと。じゃあ、どうだったら納得できるかと考えた結果辿り着いたのが

シンクレア・ゴードンもマットの中の人格の1人だったのかもしれない

というものです。

今まで、"シンクレア・ゴードン"とは、あくまで「事件の真相を暴くためマットが使った偽名」というふうに捉えていましたが、何も知らない小説家志望の男という人格だったのであればベストセラー作家のユジン・キムに対して心底嬉しそうにサインを貰うという姿に納得することができます。小説を書くという夢とジョアンとの愛という、マットが決して手に入れることができなかったものを持つのが"シンクレア・ゴードン"という名前の男でした。マットを守るため他の人格たちにそれぞれの役割があったのだとしたら、ジョアンからの愛が全てだったマットを守る為に"シンクレア・ゴードン"という『ジョアンから愛される』為の役割の人格が居ても不思議ではないなと思います。ざっくりと解離性多重人格について調べたところ、『心的外傷もきっかけとなることがある』とあったので、ジョアン殺害のショックからこの人格が生まれる可能性も、無くはないなと。「人格の1人」という程ではないにしろ"シンクレア・ゴードン"という名前を使うことによって、マットが憧れた”シンクレア・ゴードン”になりきっていたというのは考えられるのではないかと私は思います。というか、ただあのふわふわしたギョンスシンクレアが全て演技だと思いたくない……。

 

観劇直後はため息しか出てこないこの作品ですが、ほんの僅かながらも癒されるカーテンコールが9日観劇時は撮影OKでした。f:id:e_nikaitamochi:20170908205115j:image

 この日は26日公演後にいそいそと追加した日だったので少し遠い席になってしまったのが残念ですが、それでもマットとジョアンのハグシーンをおさめられて満足です。2人が仲良くしてる姿だけで涙が出てくる‥‥‥‥。

 

 初回観劇後はあまりの鬱展開にメンタルはボロボロ、水曜マチネ公演だったので午後の予定もまだまだ立ててあったのですが、全部諦めて帰路につきました。

ふらふらと地下鉄に乗り、2号線に揺られながら「やばい‥‥‥無理‥‥‥‥」という1ミリも内容のない感想をTwitterで呟きつつキャストスケジュールをチェック、息をするようにチケットを増やしていたらいつの間にか知らない駅に居ました。

初観劇の作品の帰り道はほぼ毎回電車を乗り過ごしていた人間なんですけど、これって私だけじゃないですよね???

 

 

*1:スリル・ミー10th公演は前半期3ペアしか観られていない人間です。