生まれて初めて所謂
2.5次元舞台の魅力を理屈ではなく感情で理解して感動したので忘れないうちに感想をまとめておきます。
- 数年前に原作プレイ済
- 哲雄√のみ観劇
- 出演者全員初見(だと思い込んで観ていたので実質初見)
- 出演者の発言等追っていません
原作ゲームが好きで今回観劇に至りました。もともと舞台化には否定的で観劇する予定は一切なかったので物理的に睦√善弥√は見られていません(配信も時間的に厳しくて断念)(再配信待ってます)
キャスト陣の発言等は最低限しか知らないので、もしかしたら私の感想&解釈が思いっきり食い違ってるただの妄想の可能性もありますがそんなことは知ったこっちゃねぇの気概で書いてます。
原作厄介オタクがただのオタク特有の早口で喚いているだけ。途中からもはやポエムです。
【原作オタク目線で見た "舞台化ありがとうポイント"】
一目でわかる、”優秀なオス” とは何なのか
哲雄=優秀なオス という設定は物語の根幹であり原作既プレイ者なら当然誰もが知っている事実だ。しかし原作オタクを名乗りながら私はそれがどういうことなのか全くわかっていなかった。
舞台上の哲雄を一目見た瞬間に突きつけられる「”優秀なオス”とは何なのか」のアンサー。「人生で一番好きなゲームはsweet pool」なんてことを言いながら、実際は文字上の哲雄しかわかっていなかった事実も同時に突きつけられる。ゲームをプレイしてからn年越しに、こんなにも哲雄=優秀なオスの解像度が上がることなんてある?????
私は原作の『しっかりとした骨格と固い筋肉。広い背中や、圧し掛かる重み』という描写と砂川哲雄の写真を交互に見比べてはため息をつくことしかできないし、オフィワの腕組みしている哲雄の立ち絵と配信特典映像で腕組みしている瞬間の砂川哲雄の筋肉パツパツ具合を見てため息つくことしかできない……。
砂川さん本当にありがとうございます。私はスイプを好きになってn年目にして初めて”優秀なオス”とはなんなのかを知りました。
永遠に見せてほしい。睦と蓉司のほのぼの日常会話
私が2.5舞台を観に行く時に1番恐れているのは過剰なアドリブだ。基本原作に不純物が混じることが許せない厄介オタクなのでアドリブという役者個々の解釈がでてきてしまうものが怖くて仕方がない(ので自衛の為にも2.5はほぼ観に行かない)
スイプのような空気感の作品でがっつりアドリブ入れられたら泣き喚いちゃうかも……と思っていたら、睦と蓉司のほのぼのアドリブ日常会話に別の意味で泣いた。
本編軸(重要)の中で睦と蓉司がたわいもない会話をしている、睦の太陽のような明るさが真っ直ぐ蓉司に向いているという瞬間は、あまりにも原作オタクの心に効く。このシーンが明るければ明るいほど、ただの男子高校生の会話であればあるほど、後半の展開が
バチバチに映える。
あんなにも普通の友達同士としてはしゃいでいた2人が蓉司の"貴重なメス"という部分によって狂わされていくのもしんどいし、2度と来ない「また、学校で」になるのもしんどい。
最初はここでアドリブ要素ぶっ混むんだ〜ふ〜〜ん……と観ていたのがそのことに気がついた瞬間、いつまでも2人でお喋りしていてくれ……という気持ちにすり替わった。睦と蓉司が明らかに"仲良し"で、息ぴったりのアドリブガンガン入れてくれるのは健康に効く……。
これはもう原作では望めない、本編軸の(重要)蓉司と睦の平和だったころの学校生活新規供給なのだ。もういくらでも見せて欲しいし、くだらないことで笑っていて欲しい。願わくばこのまま学園祭までやって欲しい(無理)
杉江睦の太陽のように真っ直ぐな明るさは原作オタクの心をも照らす……。
2.5次元舞台でこんなにもアドリブに肯定的になれる日が来るとは思わなかった。
エンディングのダンスシーン
sweet poolを舞台化した意味とは全てここにあると思う。哲雄の喪われたはずの微かな記憶と胸の痛みとの邂逅をダンスで表現するって天才すぎんか?????これはゲームという媒体では成し得ない演出で、スプステという作品で1番好きなシーンだった。
このシーンは原作でいう、PC画面を流れるエンドロールを茫然と見ている時間だと思っている。咀嚼しきれない2人が辿り着いた結末に、わけもわからないまま涙して2人の幸せについて思いを馳せた、あの時間だ。
EDのダンスは、あの瞬間の胸の喪失感が目に見える形にされていながらも”ダンス”という表現技法であるために受け取り方は各々の解釈に委ねられているのが素晴らしいと思う。余韻の残し方が原作ゲームの空気感を何一つ損なっていなくて原作オタクとして感動しっぱなしだった。
私はこのシーンを哲雄と蓉司の邂逅とは思っておらず、哲雄は蓉司のことをはっきりとは思い出していない派閥の人間だ。EDのダンスの様に哲雄は一瞬記憶の蓉司に触れる(思い出す)ことはできても、瞬く間にその手をすり抜けてしまっていると思っている。以下は私の解釈になる。
微かな記憶を必死に掴み取ろうと哲雄が手を伸ばす一方で、その記憶の奥にいる蓉司が淡く微笑んでいるのがあまりにも解釈一致だった。蓉司の願いは『哲雄に生きてほしい』だったことを考えるとあの慈しむような表情に頭を抱えるしかない。
一方哲雄の頬には涙が伝っていて、それをオペラグラス越しに見た瞬間叫ぶかと思った。
哲雄の涙といえば、オフィワ掲載SS「夕映え」でも見られるが、あれは蓉司と過ごした記憶のある哲雄が、蓉司を喪ったことを"理解して"流した涙だった。
それに対し、この涙は『何かを喪った記憶は朧げなのに、喪った悲しみだけは身体がはっきり記憶してる涙』なのだ。頬を伝う涙が哲雄自身には何の涙なのか"理解できていない"というのが最高にエモい。
本来、ガッチガチの原作遵守でいくのならばこのシーンで哲雄が泣くことはないのでは?と思う。原作にもそのような描写はないわけだし、このルートのここで哲雄が泣いてしまうと「夕映え」の涙の価値が暴落してしまうので。
しかしこれは舞台で、舞台とは生身の人間がその瞬間瞬間をキャ
ラクターとして生きているのを目の当たりにできるコンテンツだ。哲雄として生きている役者さんが、記憶を失った演技をしながらもそこで涙したということはそれは紛れもなく哲雄の涙なんだと、スッと理解できた。そこに原作との矛盾も「夕映え」との不整合性もなにもないのだ。
これは舞台というコンテンツでないと存在し得なかった涙で、だからこそ興奮で気が狂うかと思った。
原作をプレイしてから何年も思いを巡らせ続けたあのエンドに、新たに光が差し込まれたことに感謝の気持ちしか湧かない。
令和に再び本編軸のsweet poolを味わうことのできた圧倒的感謝
全てはこれに尽きる。
原作プレイ直後のあの時の気持ちは、きっと記憶を消してゲームをし直すことでしかもう味わえないと思っていた。それをゲーム発売から10年以上経った今、こうしてプレイした当時のように盛り上がらせてもらえたことにいち原作ファンとして感謝と感動しかない。
ゲームをプレイし終えた瞬間から、もう本編軸の蓉司たちを本編をプレイしていた時と同じ濃度で浴びるのは無理なことだと思っていた。何たって本編があのEDなのでもうどうしようもない。
オタクが新たに摂取できるのはほぼほぼ本編軸ではない世界の蓉司たちで、もう何年もそうやって派生の哲蓉を啜ってきた。もちろんみんなでカラオケに行く彼らも、文化祭を楽しむ彼らも、クリスマスツリー(物理)になる哲雄だって全部大好きだが、それでもやっぱり「本当に求めているのはこれじゃないんだよなあ」という気持ちを心のどこかに感じていた。
原作ゲームに綺麗にまとめられた、蓉司と哲雄がたどり着いた結末を愛していながら、この世界軸で新たな供給が欲しいと願ってしまうジレンマとどうにか折り合いをつけていたある日、突然こんな高濃度本編軸哲蓉を浴びせられたらそりゃ気が狂う。
舞台上では本編軸の数日間を、蓉司たちが『彼ら』に抗いながら必死に生きていた。劇場という非日常の空間で味わうそれは、確かに初めてゲームをプレイした時と同じ興奮を与えてくれた。
この事実に、sweet poolという作品を舞台というコンテンツで最高の形にして届けてくださった全ての関係者様に感謝の言葉を言いたい気持ちでいっぱいだ。特にキャストの方々は作品を、キャ
ラクターをとても大切に読み解いて全身全霊で演じてくださっているのだということが節々から伺えて、もうありがとうございます以外の言葉が出てこない。
私は割と物見遊山気分でふらふらと舞台を観に行くタイプのオタクだが(今回だって本当は物見遊山の筈だった)、過去に何度か舞台のジャンルを問わず「この役者は一体どういうつもりでその役として舞台上でこういう振る舞いをしているんだ」と思わせられるようなものを見せられたことがあった。
それは単純に技術が足りないとか自分と役者の相性が悪いとかそういう類いではなく、率直に「え、どういうつもりなん??作品ちゃんと理解してる??ここはあなたのファンだけが観にきてるわけじゃないんすけど???」という感じのものだ。
そんな過去があるので正直スプステもそこまで期待していなかった。キャストの方々を侮っていたというよりは、あまりにも原作が舞台として演じるのが難しいものなんじゃないかと思っていたのだ。
なんたって、男子高校生がある日突然肉塊を産む身体になりながら淡々と話が進んでいくR-18BLゲームである。しかもエンディングは決して万人受けしない終わり方。もうどこから突っ込んでいけばいいのかわからないくらいハードルが高い。
ジャンル内オタクの間でさえ賛否両論あった作品を
BLゲームをやったことさえないであろうキャストの方々が理解しきれないのは、それはもう仕方がないだろうと、そう何様目線のことを考えていた。
それがどうだ。実際に見てみれば舞台上で生きる彼らは私が愛したゲームのキャ
ラクターそのままで、目に触れるインタビューやコメントを見るだけでもキャスト陣がキャ
ラクターを深く理解されていることがわかる。
オタクとしてこれほど幸せなことがあるだろうか。いや、ない(反語)
駄目だ、書きながら感謝で泣けてきた……。スプステがあったことで原作既プレイのファンは更に作品を好きになったり、原作未プレイのファンは原作に興味を持ってプレイしていたり、ドラマCDが再版されたりしているんですよ???令和にsweet poolの話をしている人がたくさんいるんですよ???いや、もう感謝以外何があるんだって思う。私の語彙ではもうこれ以上の感謝の言葉は出てこないので、楽しい時間をありがとうございましたという言葉で締めたい。本当にありがとうございました。
【作中思い出し所感】
オープニング
『産めよ、増えよ〜』から始まるの、一瞬にして原作を思い出させてくれて良かった。全然関係ないけどエリザのオープニングを思い出した。こんなんじゃなかった?
本能風呂
舞台を観に行ってこんなスペキャ顔晒したの生まれて初めて。
後日原作既プレイオタクにこのシーンの話をした時、なんて言えばいいかわからなくて「
ダチョウ倶楽部の押すなよ!風呂が出てきた」と説明したのは申し訳なかった。この時「冷静に考えるとなんであの風呂ス
ケルトンだったんだよ」と盛り上がったが、今考えると“お湯が赤に染まる“って表現のためか……。なるほど。
雨の中アレでアレするシーン
ほぉーんって顔して観ていたら、画面フラッシュして笑うかと思った。いや、もしかしたら雷だったのかもしれない。
PCゲーマーだったら皆それが何を指すのかわかってしまう画面フラッシュを舞台演出として取り入れられているのが斬新すぎてめちゃめちゃ面白かった。
でも冷静に考えて舞台演出に画面フラッシュ取り入れられることなんてある?って気もするのでやっぱり私の見た幻覚だったのかもしれない。
ベッドに座る2人の絶妙な間隔
蓉司が初めて哲雄の部屋に入ったときのあの絶妙な2人の距離isサイコー!!!
原作はスチルもなく『ベッドに浅く座った』以上の描写が無いので、実際に“蓉司がごりっごりに哲雄を警戒しながらも何故だか抗えない“って距離感を形にして見せつけられて頭を抱えた。良いタイミングでMiracles may流し始めるのやめてほしい。原作オタクはすぐ泣いちゃうから。
哲雄の眼鏡
尺の都合上仕方がないのはわかっているけど、あまりにも哲雄の眼鏡タイムが唐突かつ一瞬でイメクラみたいになってて笑った。何で眼鏡の哲雄、ブロマイドにならなかったんですか??
【そのほか所感】
Miracles may 日本語ver
この令和にMiracles mayの日本語verが聴けるとか、そんなのって信じられる???
「日本語で……」と言われた瞬間喉奥でヒッ……って言ってしまったし正気が保てなくなるかと思った。特大濃度の本編プールエンドを浴びた直後に生のMiracles may 日本語verはどう考えてもオタクを殺しにきてる。正直今でもよく生きて帰れたなと思う。
櫻井さん「舞台観て、どうでしたか?」
かなこ嬢「素敵でした!」
櫻井さん「どのシーンとか……」
かなこ嬢「絡みのシーンよかったです!」
櫻井さん「本当ですか!お風呂のシーンは……」
かなこ嬢「…!よかったです!」
櫻井さん「言わせちゃった♡(ニコニコ)」
砂川さん「(ニコニコ)」
ってしてるの可愛くてよかった。
カーテンコール撮影会
カーテンコールを撮影可、
SNS投稿OKにしてくれた公式にひとまず感謝の意を伝えたい。これがなければ私がスプステを観に行くことはなかったので。
実際のところ、sweet poolのオタクはMiracles mayにめちゃ弱なので(偏見)、あのカーテンコール映像が
SNSに出回ったことによって劇場に向かったオタクは一定数いたんじゃないかと思う。絶対私だけじゃない。キラナイでMiracles mayが流れ始めた瞬間オタクたちが啜り泣き始めるというのは有名な話だし……(有名か?)
TLに流れてきたカテコ動画を見た時の自分を振り返ると、撮影・投稿可のイベントの宣伝効果ってそれなりにあると思うので日本の舞台ももっとやって欲しい。閉幕後ロスに苦しむオタクの心も救われるし。
あと、日本でカテコ撮影初めて経験したけど手厚くてびっくりした。正規(?)のカーテンコールをしっかり見せてもらえたうえ、役者にしっかり拍手も送れる。その後に撮影の説明があっていざ撮影会!ってオタクに優し過ぎない???
暗転の瞬間にカメラ構えなきゃ出遅れるし、レンズ覗いててカテコの記憶が曖昧、みたいな世界しか知らなかったから、涙拭いて鼻水拭いてカメラのレンズキャップ外す時間まであることに感動した。
かつてsweet poolとかいう作品に歪められた性癖の都合上、『もう2度と触れられないけれども確かにそこに愛はあったんや……(虚空を抱きしめながら)』みたいな終わり方の作品ばかり観がちなので、限界精神顔面大洪水のままパシャパシャすること多かったから……。
ちなみにここまで手厚くしてもらいながら、撮れた写真がこれなので草も生えない。真っ暗やんけ。
腐女子もびっくりの際どい言葉選び(まじでそんな言い方していいんか?大丈夫?ってどきどきした)でオタクが欲しい情報を引き出してくれるMC福地さんと、それに抵抗しつつ盛り上げてくれる櫻井さんにその後ろでニコニコと無抵抗な砂川さんの組み合わせが神がかっているアフター
トークだった。
確か18日の福地さんのカテコ前挨拶が、原作ゲームをプレイしてBLっていいなぁと思った。自分も絡みある作品やりたい等仰っていた気がしたのだが(うろ覚え)あれは今日の伏線だったのか?と思うくらい、一貫して腐目線の
トーク展開。個人的にはオタクみんな(主語デカ)を狂わせた砂川哲雄の筋肉について蓉司役からの言葉を引き出してくれたのが最高だった。
櫻井さん「えっ、抱かれてみて?……はは、えーー……こんなこと話せるのsweet poolくらいですよね(笑)」
砂川さん「(ニコニコ)」
櫻井さん「……すごいですよ。筋肉が目の前でバーンってなって……、バーンってされたら俺なんて飛んでいっちゃう」
砂川さん「いや、圭登さんが病弱で線の細い身体づくりしてるから僕がよく見えるだけですよ~(ニコニコ)」
って会話の流れ、やっぱ蓉司視点から見ても哲雄の筋肉凄いんだ……って感想と哲雄から見るとやっぱ蓉司は病弱で線が細く見えているんだ……って感動と(実際のところ櫻井さんも綺麗な筋肉の付き方していた気がする…あんまちゃんと見てないけど)砂川さんのほわほわフォローの可愛さで100億満点すぎた。
他にも、ベッドに並んで座ることを「ベッドイン」と言い強要する福地さんに対し抵抗を試みる櫻井さんとそんな櫻井さんをしり目にさっさと座ってニコニコと自分のとなりをポンポンする砂川さんとか、ティザービジュアル再現を要求する福地さんに対し「散々抱き合ったじゃん……」と抵抗を試みる櫻井さんの後ろでスッと立ち上がり1人ポージングの確認をし始める砂川さんとか、とにかく3人の組み合わせが神。
オタクって頑なに抵抗されるのもしらけちゃうし(面倒くさいオタク)、逆にノッリノリで営業()されてもしらけちゃう(面倒くさいオタク)とこあるじゃないですか。その点、きわどいこと言いながらにこにこ詰めてく福地さんと、あまりのきわど発言にギョッとしながら抵抗してくれる櫻井さんと、ニコニコ無抵抗な姿で結局櫻井さんを折れさせちゃう砂川さんのバランスが奇跡。
楽しすぎて記憶はおぼろげだし、体感5分で終わっちゃったのでまたこのメンバーでの
トーク聞かせてほしい。今度は1時間くらいの尺でよろしくお願いします。
砂川哲雄
あの城沼哲雄という男の要素全てに説得力を持たせてくれたビジュアルに頭をやられたというのもあるけれど、砂川さんご自身の発言がとても好きだったのでもうちょっとだけ砂川哲雄の話をさせて欲しい。
まず、ことあるごとに蓉司に対して「愛おしい」って言葉を使っていた事実。これ、味がしなくなるまで噛み締め続けたい。
哲雄の蓉司に対する「愛おしい」という気持ちは、哲雄視点ノベライズにおいて何度も出てきていながら言葉にされなかったものなので(多分)それを言葉にしてくれた事実だけで原作オタクは胸がいっぱいになる。
砂川さんの口ぶり的にも、蓉司に対する「愛おしい」という気持ちは哲雄というキャ
ラクターを演じる上での一つのキーとなっていたのかなと感じられて、解釈ド一致ビジュアルに加え信頼感は
天元突破した。
さらに、アフトで仰っていた「頭の中ではめっちゃ会話してる」という言葉。櫻井さんには「……どういうこと?」と笑って流されていたけど、こんなんノベライズ履修済みオタクたちみんな頭抱えたでしょ。
ノベライズにおける言葉にはされない哲雄の感情の揺れ動き、それを言葉にしない哲雄の不器用さも全部理解されてるんだ、と感謝と感動で咽び泣いてしまう。直球で「ノベライズ読み込みました!」とか言われるより信頼感がすごい。
このくだりは蓉司役の櫻井さんがさっぱりわかってなさそうなのもあわせて良かった。蓉司にとって哲雄は「なにをされるかわからないし、なにを考えてるのかもわからない」の補強すぎるじゃん……。
とにかく砂川さんの発言の節々から、この方は本当に私の愛した原作の哲雄を大切に演じられているんだと感じられてとても嬉しかった。
パンフ
いや、こんな内容ならもっとクソでか大声でアピールして!!!!
ページをめくる度に現れる新規供給ハイクオリティスチル再現写真に延々と「は?!?!?!?!?」と叫んでいた。え、なんでこんだけ素晴らしい写真データを錬成しておいてこれで一儲けしようと思わないですか????ブロマイドとかブロマイドとかブロマイドとか出して!!!個人的に一番好きだったのは電車の窓越しにこちらを見ている蓉司のスチル。再現度が凄い。
スチル以外だと淵井先生の「二次元のキャ
ラクターと三次元の人間が~」というお話や、
中屋敷さんの「俳優同士じゃないと生まれない感情~」というお言葉が胸に刺さった。今まで否定的だったので深く考えたことがなかった『二次元作品を舞台化する意義』について新しい考え方ができるようになった気がする。ところで今からでも遅くないんで新規ブロマイド出して。
チケット
ただのオタクのお気持ち長文。読まなくていい。
興行として成功かどうかは置いておいて、公演何ヶ月も前から熾烈なチケ戦争という名の情報戦を制さなければ観劇すらできない舞台より、開幕までは席を選ばなければチケットが買えて、開幕から段々と口コミやリピーターで満席になっていく舞台の方がオタク的にも幸せだし文化として健全だよなぁと常々思っている。興行としてどうかは置いておいて。
どうしても我慢できなくて当日開演2時間前に買った当日引換券の席が想像の30倍見やすくて公演内容も素晴らしくうっきうきな帰り道の電車で、向かいに座っていた人が今一番チケットが取り辛いと思しき某アニメ原作舞台のパンフを熱心に読んでいることに気が付いてふと思いを馳せてしまった。
前述のとおり、私はある日偶然TLに流れてきたカテコ動画を見て、そこに哲雄と蓉司が生きているならば彼らが生きていた証を見届けに行かなければいけないのでは?という思考に囚われ(完全に思考が拗らせキモオタク)、たまたま予定が空いた日にふと思い立って当日引換券を買って劇場に走ったのがスプステの初見だった。追いチケも同じような要領で買っているが、どちらもそれなりに見やすい席で楽しめた。
語弊が生まれそうな言い方になってしまうけれども、スプステがチケ戦争を伴うような舞台でなくてよかったなと思う。そうでなければまず私は観劇することができなかっただろうし、原作既プレイの知り合いに観に行ってほしいとスプステの話をして回ることもなかっただろうし、
Twitterで大声で感想を叫ぶこともなかっただろうし、一日中悶々とスプステのことを考え続けた末に「これならリピチケ買っときゃよかった~~」と思いながら開演ギリギリに劇場に走ってさらに拗らせることもなかったので。
そりゃ好きな作品や自分が素敵だと思った作品が大人気作品であればもちろん嬉しいが、実際に観劇してみて心に刺さったからこそ「もう1回観たい」や「ひとに勧めたい」と思った気持ちが潰されてしまわないのはやっぱり楽しいものだ。
スプステ観劇の翌週に件の今一番チケットが(略)某アニメ原作舞台を観にいったのだが、周りに勧めて回りたいほど良作だったのにチケットは地方まで完売という事実が迂闊に感想も言えない気持ちにさせて悲しかった。カテコで
御園座公演の配信が決まったとか何とか言っていたが、初見舞台を配信で見るってオタク以外には勧め辛いし
御園座公演とかどんだけ先やねんって感じだし結局迂闊に感想も観に行っても言えんのよなと妙に白けてしまったのも相まって、なんだか観劇した時の感動も曖昧になっている。
スプステがいつか再演したとしたら、もちろんチケットが飛ぶように売れていてほしいけれども観劇して気が狂いながらその場で追いチケできる余裕もあって欲しいと身勝手なオタクは思ってしまった。
今回、睦√と善弥√を観劇できなかったのが本当に心残りだ。
舞台上の睦と善弥も、原作ゲームまんまでとても素敵だったのでそれぞれの√を観てもっとsweet pool という作品の解像度を上げたかった。哲雄√の彼らを観ただけでも、間違いなく解像度を上げてくれるんだろうなとわかったので。
睦√と善弥√の存在をはっきり知ったのが19日の夕方だったのは今思うと笑うしかない。配信も時間の都合で諦めざるを得なかったのでどうかまたオタクを助けると思って再配信して欲しい。
千秋楽から3週間が経った今でもスプステに想いを馳せ、パンフを読み返し、ever bule を聴いて、ノベライズを舐めしゃぶる生活をしているんだけれどもこのままGWを迎えたらどうなってしまうんだと思わずにはいられない。
どうかGWまでに、公演再配信だったり円盤化だったり新規ブロマイドだったり再演のお知らせだったりを何卒……何卒……(強欲なオタク)