絵に描いた餅

書かなきゃ忘れるオタクの備忘録

ミュージカル「ファンレター(팬레터)」感想

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【2018.01.06 マチネ】

チョン・セフン:ムン・ソンイル
キム・ヘジン:キム・ジョング
ヒカル:チョ・ジスン
イ・ユン:ジョンミン
イ・テジュン:ヤン・スンリ
キム・スナム:イ・スンヒョン

 

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 【2018.01.06 ソワレ】

チョン・セフン:ムン・ソンイル
キム・ヘジン:キム・ジョング
ヒカル:チョ・ジスン
イ・ユン:ジョンミン
イ・テジュン:ヤン・スンリ
キム・スナム:イ・スンヒョン

 

 

観劇後、「ヤバい」「無理」「エモい」以外の語彙を根こそぎ奪っていくミュージカル「ファンレター」(そもそも私の語彙力が無いだけの可能性については目を瞑る)

出だしから頭の悪い文章でごめんなさい。

こちら、インターパーク氏掲載の作品紹介&あらすじも、チケットサイトや大学路のいたるところで目に入る作品ポスター&ビジュアル写真も、さらには開演前の劇場ロビーの雰囲気さえ「家族で行くのもよし、恋人とデートで行くのもよし」みたいな空気がムンムンなのに、いざ観劇してみると「お、お、お????」と心が前のめりになります。ばっちり裏切られます。

キャパ200〜400程度の劇場だったら間違いなく客の大半がお姉様方で占められて、あの独特の空気がロビーに漂ってそう(偏見)みんな顔見知りと喋りながらマニアカードをパタパタさせているあの空気感。

一言で言ってしまいますと、これ、全オタクが好きなやつです。

大切なことなのでもう一度言いますね。

全オタクが好きなやつ。

家族で観てもカップルで観てももちろん楽しめる作品でありながら、全力でオタク心をくすぐってくる。

ちょろいオタクの私は放心状態で劇場を出た後、涙が乾くまで大学路を徘徊し(泣きながら劇場を出た)東崇アートセンターから遠い方のスタバでひたすらツイッターに「ヤバい」「無理」「エモい」と書き連ねることになりました。(なお、どうせソワレも号泣すると判断し化粧直しは早々に断念)

 

ということで、今回は始終こんな感じのキモオタ丸出し感想文になります。

真面目に(当社比)書こうとしていたんですが、この衝撃と感動と素晴らしさを文にするには私の語彙がお粗末すぎました。いくら素晴らしい文を書く彼らの姿を観ても私の文章力が上がるわけではなかったようです(当然)

こんな感想文でも許容できる方は読み進めていただけると嬉しいです。

 

 【あらすじ】

舞台は1930年代の京城

作家キム・ヘジンが、心中した恋人へ宛てた最後の手紙とその恋人と共に書いていたとされる小説が公開される、そう聞いたセフンは真相を確かめるべく留置所のイ・ユンを訪ねるところから物語は始まります。

キム・ヘジンの友人であったユンは、やって来たセフンに「手紙が見たければあの時の真実を話せ」と迫るのです。

本当にキム・ヘジンは恋人と心中したのか。

共に書いていたという小説は実在するのか。

最後の手紙には何が書かれているのか。

そしてその恋人の正体とは。

セフンの告白と共に当時が振り返られるかたちで物語は進みます。

 

【感想】

※7割程度のネタバレを含みます。ご注意ください。

作家志望の青年の成長物語と聞いていたはずが、開演早々ミステリ風味満載です。

恋人と心中したと言われている作家キム・ヘジン。

何かを知っている様子のヘジンの友人、イ・ユン。

ヘジンが残した恋人への最後の手紙を「自分は読まなきゃいけない」と訴えるセフン。

この謎がセフンの告白と共に少しずつ明らかになっていく構成にみるみる引き込まれます。

何よりこちらの作品、下手モニターに日本語と中国語の字幕を表示してくれるというありがたさ。私の語学力がお粗末故に予習前提での観劇をせざるを得ない中、久しぶりに展開にハラハラしながらの観劇ができました(そしてめちゃめちゃ泣いた)

 

「秘密と想像が出会ったモダン・ファクション・ミュージカル」
インターパーク先生の作品紹介欄を覗きにいったところ、こう紹介されておりました。
なるほど。
確かに、きっちりと三つ揃いを着こなす作家先生たちや時代背景の空気はモダンです。実在する小説家や文人たちの集まりをモチーフにしている点はファクションですし、秘密と想像も出会っちゃってます。しかしこの作品の軸は、なによりもセフンとヘジン先生の間に描かれる関係性だなと観劇して感じました。
胸に抱いた悲しみと孤独を埋めるように愛を求めた2人が文を通して出会った時、行き着く先は何処なのか。その過程が美しい音楽と繊細な歌詞で紡がれたミュージカルでした。

 

[セフンとヘジン先生の繊細で危うい関係性]

この物語の軸であるのが、ひと言で言い表すことのできないセフンとヘジンの関係性でしょう。想像と秘密のうえに積み上げられた2人の関係性は純粋に相手を求めながらも、繊細で危ういものでした。

2人の関係が描かれる中でグッと心を掴まれるのが、まず1幕のひたすら純粋に天才作家であるヘジン先生に想いを募らせるセフンの姿。
ヘジン先生に焦がれるセフンの切ない眼差しにきゅんきゅんさせられます。

家族に追いやられるように日本に留学させられていたセフン。そんなセフンの心を慰める唯一の存在が作家キム・ヘジンの文章でした。ヘジンの書く文章に孤独な心を救われたセフンは「ヒカル」というペンネームでファンレターを書くことに。

一方のヘジン先生も、「ヒカル」という名前で送られてくるファンレターに心を救われます。誰も気づくことのなかった悲しみを唯一理解してくれたのが手紙の主である「ヒカル」さんだったのです。

こうしてセフンとヘジン先生は手紙を通じ心を通わせ、互いの手紙を心の支えにするようになります。

その後朝鮮に戻ったセフンはヘジン先生のいる文人の集まり、7人会の事務所で小間使いとして働くことになるのですが‥‥‥‥。

憧れだったあの人がこんなにも近くに!と胸を震わせるセフンがとにかく可愛い。

ヘジン先生を盗み見ては幸せを噛みしめるように両手をにぎりしめるセフンの姿はひたすらに可愛くて、会場中のオタクの共感と乙女の心を掻っ攫っていきます。
このシーン、私の語彙力ではその可愛さの1%もお伝えできないので、動画をお借りして字幕をつけてみました。


뮤지컬 '팬레터' 눈물이 나 【日本語字幕】

先生の為ならなんだって出来ると言っちゃうセフンの初々しさと健気さ。仕草ひとつひとつ、歌詞の一言一言が喜びとときめきに溢れていてきゅんきゅんします。

「僕が見ているのも知らないその顔に かかった陽射しの一片」

なんて、いじらしさと先生に憧れる気持ちがぎゅっと詰め込まれた歌詞、本当に先生のことが好きじゃなきゃ出てこないよね!とうんうん頷くしかありません。

セフン役の俳優さんの演技も素晴らしく、グッとセフンに感情移入してしまいます。

 

 で、一方のヘジン先生ですが


뮤지컬 '팬레터' 그녀를 만나면 MV

すっかり手紙の主であるヒカルさんに夢中に。

セフンに負けず劣らず一途に、純粋に、まだ見ぬ手紙の主に想いを寄せるヘジン先生。

にこにこと「結婚するかもしれない」とまで言うヘジン先生と言葉を失うセフン。そんなセフンに先生は冗談だと笑いますが、側から見ると全く冗談には見えないのがポイント。

そう、ヘジン先生が想いを寄せる手紙の主、ヒカルの正体はセフン。

ヒカルを女性だと誤解し、純粋でひたむきな愛を向けるヘジン先生を前にセフンは自分が手紙の主だと言い出せなくなってしまいます。

この作品を観劇して真っ先に思い出したのが夏に観た「シラノ」でした。
コンプレックス故に自分ではない名を騙って手紙を送る行為。確かに自分の綴った言葉は相手の心に届いているのに、手紙を送った相手が見つめる先に居るのは自分ではない悲しみ。

この辺りは「シラノ」に近いなあと。

しかし、「シラノ」と1番違うのは「誰も幸せになれない」という点でしょうか。

 セフンの書いた文はヘジン先生の心に届いていながらも、ヘジン先生の心にいるのは居もしない人物「ヒカルさん」

ヘジン先生に会うために朝鮮に戻り、家までもを捨てたセフンに待っていたのは、自分の書いた手紙を握りしめながらも決して自分に向けられていないヘジン先生の心。

悲しみを抱えた心を理解してくれる女性が虚像であることを知らないまま、ひたむきに愛を捧げるヘジン先生。

 どう足掻いても明るい展開が見えてこないこの状況、誰が1番辛いってたぶん観客です。

恍惚とした表情を浮かべ「ヒカルさん」への想いを語るヘジン先生の姿も、茫然と傷ついた眼でヘジン先生を見上げるセフンの姿も見ていられませんでした。

 結局セフンは先生を悲しませることはできないと、ヒカルをあたかも実在する人物のように作りあげ手紙のやり取りを続けます。ますます虚構の「ヒカルさん」にのめり込むヘジン先生と、ヘジン先生の心を意のままに操れることに次第に喜びをおぼえはじめるセフン。

一通の純粋なファンレターから始まった関係は、どこからか捻れ、それぞれが別の方向を向いたまま、ますます強くお互いを求めるようになっていきます。

作中で描かれる関係において、ヘジン先生がヒカルに向ける愛は、ただ女性に向ける一般的な愛の形とは少し違うんですよね‥‥。美しい文を書き、自分の心を理解してくれる彼女を、文を書く上でインスピレーションを与えてくれるミューズとして崇めながら求めている節があったと思います。そしてセフンも文を書く人間であり、その存在がどれほど大切か理解しているからそこヘジン先生の望む「ミューズ」像を完璧に創り上げてしまった。
だからこそ2人とも戻れないところまでこの愛の形に溺れていくことになったのかなと思いました。

 

[ヒカルという存在]

この作品の最大のポイントは間違いなく「ヒカル」という存在です。

ヒカルとはセフンが作り出した実在しない存在。家族からは冷たくあしらわれ、1人孤独を抱えていたセフンは自分とは違う「ヒカル」という存在を作り出します。

1幕では控えめなセフンとは対照的に、明るい笑みを浮かべセフンの手を引くヒカルの姿が印象的でした。セフンにとってのヒカルとは、自分の半身でありながら自分を引っ張っていってくれる存在だったんだろうなと。

初めてセフンがファンレターを書いている時のヒカルは、少年のような出で立ちで無邪気な笑顔を浮かべていましたが、次第に溌剌としたお嬢さんの姿に、終いには妖艶な笑みを浮かべる女性へと姿を変えていきます。

ヘジン先生がヒカルという存在にのめり込めばのめり込むほど利己的な一面を露わにするようになるヒカル。

私は「ヒカル」をセフンの隠された欲望の具現化でありながら、ヘジン先生とセフンが溺れた愛の形だとも思っています。

ヘジン先生が求めた愛に応えるようにセフンが作り上げた「ヒカル」は、それぞれの欲望を映し出すように姿を変えていき、気がつけばセフンの手さえも離れて行動を起こすようになります。

迫り来る死の恐怖から逃れるように、ヒカルの言葉を、存在を求め文を書くことに没頭していくヘジン先生。真実を言わなければと思いながらも、先生から与えられる温かな優しさを失うことを恐れ求められるままに返事を書いてしまうセフン。お互いの存在を求めていながらも、1つボタンを掛け違えてしまったばかりに2人は別々の方向を向いたままその愛の形に耽溺していきます。

側から見れば利己的でしかないヒカルの言葉にも2人が逆らわなかったのは、それが心の奥底では望んでいた事だったんだろうなと思いました。

しかし、ヘジン先生の命を削ってでも執筆に駆り立てるヒカルに、ついにセフンは声をあげます。ヒカルの言葉に導かれるように辿り着いた場所に居るヘジン先生は、セフンの愛した春のように暖かく眩しい先生ではありませんでした。「先生の目に僕は映っておらず、僕が愛した優しさをもう見つけることもできない」

そう気がついた時のセフンの絶望と後悔。そんなセフンを「この状況を望んだのは、私でありあなたなのよ」と笑うヒカル。

結局セフンは大切なものを捨てることを選びます。

自分を救い導いてくれた存在を、そして他人から向けられた初めての愛を。

何よりも大切で、ずっと求め続けたものを、セフンはヘジン先生の為に捨てる決意をします。

 

「さようなら 僕の光 僕の悪夢」

この言葉とともにセフンは自分の右手にペンを突き立てヒカルを消します。ポスターにも使われているこの台詞、セフンにとってのヒカルの存在がどのようなものだったのか一言で表されていて秀逸だなあといつ聞いても惚れ惚れさせられます。

「光」と日本語の「ヒカル」=「光」が掛けられているのも素敵です。
セフンの半身でありセフンを救う「光」でありながら、セフンを惑わせセフンの愛したヘジン先生を惑わせる「悪夢」でもあった「ヒカル」

ヘジン先生への想い故に、自分の半身さえも殺すことを選んだセフンの絞り出すようなこの台詞に胸が苦しくなりました。

 

「あなたは私がいなきゃ誰にも愛されないのよ」
セフンがヒカルを消した時、ヒカルが言い残したこの言葉。この言葉は、セフン自身がずっと自分にかけていた呪いのように感じました。

家族にさえ愛されることのなかったセフンが、やっと手に入れた愛。それですらセフン自身ではなく手紙を書く「ヒカル」に向けられていた。その時ますます「自分は誰にも愛されることはない」とセフンが強く思うようになったのは想像に難くありません。だからこそ愛される存在であったヒカルを消す時、この言葉が最後に出てきたのだろうと思います。

その後真実を話すもヘジン先生に拒絶されたセフンが、ヘジン先生に出会う前よりも更にこの呪いに雁字搦めにされたのではないか考えると何度思い出しても胸が苦しくなります。

ヘジン先生が亡くなった後、ユン先生に問われたセフンはヒカルのことをこう答えています。

「僕なら使えないような表現や考え方をあの子は淀みなく紡いだ。素直で自信に満ちていて‥‥‥愛されていたから」

セフンの抱えつづけている悲しみや後悔、そして絶望が滲むこの台詞。

この台詞を踏まえてのラストの救いのシーンには会場中が号泣するのも納得です。

 

[美しく繊細な歌詞]

今までミュージカルを観てきて、こんなにも歌詞に魅了されたのは初めてかもしれません。

特にそれぞれのキャラクターが心情を吐露する曲の歌詞は、繊細で詩的ありながらその心情が細やかに伝わってくるもので、惚れ惚れするほど美しかったです。

 もちろん字幕表示のおかげで、日本語でダイレクトに歌詞を受け取ることができたのも大きかったとは思いますが、それでもやっぱり綺麗な旋律とともに紡がれる歌詞は端的でありながら的確で美しくまとめられていました。

正直、こんなに繊細で切ない物語を詩的で美しい歌詞とメロディで彩ったミュージカルを母国語で観ることのできる方々が羨ましいです。

ミュージカルにおいて、歌詞で観客を魅了できるというのは、オリジナルミュージカルにおける最大の魅力ではないかなと考えさせられる作品でした。

 

[キャスト感想]

あらすじを調べるうちにどうしてもキャストを変えて観たくなり、ない枠をひねり出してなんとか2人のセフンを観ることができました。そもそもマチソワ続けての観劇だって避けたいタイプなんですが、2セフン観たいが為に生まれて初めて同演目マチソワしました。必死です。

マチネで観たスンウォンセフンとソワレで観たソンイルセフン、どちらもとっても素敵なセフンでした。だいたいキャストを変えて観ると「この役はこの俳優さんが好き」って好みが出てくると思うのですが、正直今回はどちらが好きなんて選べないほど両セフンとも好きです。

スンウォンセフンは「心のどこかでは、ヘジン先生が決して自分を見てくれることなどないし、ましてや愛してくれることなどないとわかっている」セフン。

ソンイルセフンは「心のどこかでは、ヘジン先生が自分を見てくれて、愛してくれると信じている」セフンのように見えました。

スンウォンセフンの控えめで自己表現が苦手そうな青年ぶりは、まさに等身大のセフンという感じ。先生の文章や優しさに触れた時に見せる控えめで照れたようなはにかみにきゅんきゅんさせられました。「눈물이 나」でヘジン先生の寝顔を覗き込んだ後、目を覚ました先生に慌ててソファで寝たフリをする姿がとっても可愛くて印象に残っています。「고백」では一転、縋り付かんばかりに「どうか僕を見てください」とヘジン先生に懇願する姿にセフンにとってヘジン先生の側に居ることがどれほど救いになっていたのかが伝わってきて切なかったです。

あと、スンウォンさんの歌声がとっても素敵でした。滑らかなのに芯のある歌声で、この声で歌われるといちいち説得力がすごかったです(語彙力)

ソワレで観たソンイルセフンは、仄暗い繊細さを漂わせる青年でした。優しく暖かい春の風でなければ折れてしまいそうな花のようで、1幕中盤からは「この子からヘジン先生の存在を奪ったら生きていけないんじゃないか」と思わせられるほど。

先生がいつか自分自身を見てくれることを願うかのように、いつも遠くから切ない目で先生を見つめている姿が印象的でした。

ヒカルを殺すときはポロポロと涙を流しながら手にペンを突き立てていて観ている方も辛かったです。

個人的にソンイルセフンで好きだったのが、先生に頭を撫でられる姿です。驚いたように首をすくめる反応が、初めて誰かに頭を撫でてもらったんだろうなと想像させられてもう‥‥‥。

そしてマチネソワレと続けて観たキム・ジョングさんのヘジン先生ですが‥‥‥。ジョングヘジン先生「今最も大学路で愛されている男TOP5」に間違いなくランクインしてるやつでした。誰もが認める天才作家でありながら控えめで、はにかむ姿は春風のようで、膝を揃えてちょこんと座る姿には可愛さを感じさせられるジョングヘジン先生。そうかと思えば、まだ見ぬ「ヒカルさん」を語るときは情熱的で。

ヒカルを一途に想い続ける純粋な愛が、少しずつ全てを賭けてでもヒカルと共にありたいと求める狂気へと変わっていく過程が見事でその姿にどんどん引き込まれていきました。

びっくりしたのが、ヘジン先生が優しく微笑むだけ(開演体感20分)で泣く人が出てくる会場。それも1人だけじゃないですからね‥‥。どれだけジョングヘジン先生が観客を魅了し観客に愛されているのかがわかります。ただ初見だとどこに泣きポイントがあるのかさっぱりわからないので正直怖いです(笑)マチネでそんな会場にひえ〜〜とドン引きしたくせに、ソワレでは私も早々に泣いていましたw 

 ソワレのジョングヘジン先生が(マチネ比で)絶好調で、特に「그녀를 만나면」は何度も見たMVの歌声まんまだ!!と1人興奮しちゃいました。あと、7人会のメンバーにヒカルからの手紙を奪われたヘジン先生が酔っ払ってむにゃむにゃしながら「あんで〜‥‥‥‥あんで〜‥‥」って言ってるのが可愛すぎて萌え死ぬかと思いました。

 同じ作品を複数回観るなら、何回も反芻して自分なりに考えて「じゃあ次はここに注目して観てみよう」って観劇に挑みたいタイプなんですが、今回はマチソワぶっ続けだったのでそれが全くできなかったのが心残りです。

ちなみに貴重なマチソワ間何をしていたかっていえば、ずっと余韻でめそめそしていました(真顔)

  

[演出]

この作品、脚本、音楽、歌詞、キャストと観劇中いたることろで心奪われていたのですが、演出もその1つです。観ていて「舞台だからこそできる演出」と言ったらいいんでしょうかそんな演出が多くて、それがまた作品の空気感にぴったりとはまっていてよりこの物語の魅力を深めていたように感じました。

 特に多用されていた影を使った演出は巧みだなと。「ヒカル」が生み出されるシーンでは、影の中から徐々にあらわになっていく姿に「架空の存在が形を持って現れた」ことがよくわかりゾクゾクしました。

 他にも獄中のユン先生に迫られセフンが過去を振り返り始めるシーン。この時、セフンがコートを脱ぎ捨て詰襟姿になる演出が素敵でした。一瞬にして時が戻る感じがたまらないです。
あとは1幕最後の「섬세한 팬레터」。次々と入れ替わりながらヘジン先生と歌うセフンとヒカル、相手が入れ替わっていることに気がつくことのないヘジン先生。

照明の使い方も幻想的で、その中で比喩的に表現される3人の関係性がとても美しいシーンでした。

 

[救いのラスト]

物語が進むにつれて(というより結構序盤から)、いやいやどうなっちゃうの〜〜どう足掻いても明るい未来が見えないぞ〜〜と叫びたくなってしまうこの作品。

どうなるかと思いきや、最後にはセフンを含め登場人物たち(と我々観客)の心を救い未来を切り開いていく展開になっていました(そしてこれでもかというほど泣かされる)

全体的に「救い」の印象が強い最後の数場面を思い返すと気になってくるのが、ヘジン先生の友人であったユン先生の存在。

友人として誰よりもヘジン先生を理解し、心配していたユン先生。2人の間の絆は、最後に書いた手紙をヘジン先生はユン先生に預けたところからもうかがえます。

最後にセフンを救いへと導いていくのはそんなユン先生です。

ヘジン先生の心を掴み狂わせた「ヒカル」の正体がセフンだと知りながら、「誰も僕を愛さない」という呪いに雁字搦めになっているセフンを(散々からかいながらも)救いだします。

最後の場面にきてやっと、1番最初に「手紙が読みたければ真実を話せ」と迫ったのは言葉通り真実が知りたかったのではなく、当時を振り返ることによってセフンの心を整理させ、そこから救い出そうとするユン先生の考えがあったんだろうなと気づかされるのも最高にニクい演出です。

ユン先生の懐の広さとヘジン先生とセフンへの温かい優しさ。次観劇の機会があればユン先生の立場に立ってじっくりと観劇したいと思わされました。きっと新たなファンレターの姿が見えてくるんじゃないかなと。

 

ところで、次の観劇の機会‥‥‥‥いつくるんでしょうか。これだけ人気のある作品なので早々に再再演があると信じて生きているんですが(笑)

衝動的に作った字幕動画がいくつかあるのでひとまず再再演に向けて友人知人各位に布教しまくりたいと思います。みんな観て!!わたしは!!語る相手が!!欲しい!!!!!

 

[カーテンコール]

カーテコールの撮影が可能だったのでいそいそと撮ってきました!

マチネ

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ソワレ

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 穏やかなヘジン先生っぷりのせいか、小柄な印象だったのにジョングさんが意外に身長が高くてびっくりしました。役者さんって凄い!

 

じゃんけんに勝ったのに先を譲るヘジン先生が可愛すぎるのが個人的お気に入りポイントです(笑)